会長挨拶

英語英文学会の会員の皆さまへ

 

             わかりにくい小説の話

 

今日は諸々のご案内と、特に7月中旬に発刊された『アスフォデル退職記念特別号』58号をお届けします。本号はこの3月末日にご退職なさった小山薫先生、松村延昭先生、秦由美子先生への私たちの感謝を形にしたものです。どうかご一読ください。

 

さて、何回読んでもよくわからない作品というのがあります。私にとってはエミリ・ブロンテの『嵐が丘』(Wuthering Heights, 1847)がそれです。

この小説では、兄妹のような、それでいて階級の異なる、キャサリンとヒースクリフが狂気とも恍惚ともいえる恋に没頭しています。ヒースクリフは出自不明で子供のころから差別的な扱いをされてきましたが、3年間の出奔のあと、彼は、自分を虐待したヒンドリー(キャサリンの兄)や、富裕階層の紳士リントン(のちにキャサリンの夫)、その妹イザベラに対して、徹底的な復讐をやり遂げていきます。

当時流行っていたゴシック小説やセンセイション小説なら、こういう筋書きは普通ですが、しかし、『嵐が丘』には通俗的な作品とは異なる「何か」があると思えるので、そして、その何かが見えないので、焦燥感に駆られるわけです。

しかし、少しだけその「何か」がわかったように思えた瞬間がありました。ゼミの準備のために、『嵐が丘』の翻案作品、映画『嵐が丘 ― 鬼丸―』(吉田喜重監督, 1988)をDVDで観ました。「メイキング」によると、吉田監督がこの映画をつくるきっかけとなったのは、フランスの思想家バタイユの『文学と悪』(1957)の中の「エミリ・ブロンテ」論だったそうです。

バタイユによると、文学は霊的交信であり、悪の認識を通して感受されるもの、もっと言うと、文学とは無垢なものではなく、もともと罪深いもので、自分の正体を暴露せざるをえないもの、らしいです。そう言われると、やはり『嵐が丘』は、覚悟のない者には手をつけてはいけない、やっかいな小説のように思われます。

しかし、その一方で、『嵐が丘』の結末に、なぜやさしい光を実感するのだろうかと思います。作品では、ヒースクリフが、近親相姦のタブー、墓暴きのタブーのような禁止事項を犯しています。それに、ヒースクリフの絶え間ない慟哭と執念を見せつけられてホトホト疲れ果てますが、彼の体には崇高な「何か」がまとわりついているようにも思えます。世俗的な評価を期待するような善や、自己本位的な悪という次元ではない何か、情熱、孤高、超越を感じるから、彼の37年間の人生に「アッパレ」と言ってあげたくなるのでしょうか。

文学は悪の極限の形態と言ったバタイユの意味が少しだけわかってきましたが、それでも、未だすっきりしません。『嵐が丘』は本当にわかりにくい小説です。

 

                       2023年(R5)9月

 

                                英語英文学会長 風間 末起子

 

 

 

*アスフォデルは、年会費をお納めくださった卒業生の方に郵送します。

 


英語英文学会の会員の皆さまへ

 

             the shorter, the better

 

本日は7月の「夏期公開講座」(3つの講座)のご案内等をお届けしています。対面式(J207)とオンライン(ZOOM)の両方での開催ですので、ご都合のよいほうでぜひご参加ください。

 

①7月22日(土)14:00-15:30. イザベル・ファスベンダー先生のご専門は現代日本における家族社会学。1990年代から予測されてきた日本の少子高齢化社会の問題に鋭く迫ります。昨今の出産奨励策あるいはそのイデオロギーは生殖・性にまつわる権利と乖離しているのではないか、先生の問いかけが興味深いです。(英語講演)。

 

②7月23日(日)10:30-12:00. 浮網佳苗先生のご専門は、イギリスの近現代の消費行動とその思想についての研究。消費社会という用語には豊かさと同時に負のイメージが付いてまわりますが、「生活協同組合とその女性組合員」、「消費によって社会改善を広める」という今回のキーワードそのものに、私たちの知識欲が刺激されます。

 

③7月23日(日)13:00-14:30. 坂田薫子先生のご専門はイギリスの近現代の小説研究。『ハリー・ポッター』出版の1997年から2007年までのイギリスそのものがこの作品を通して浮き彫りになるようです。私たちはなぜ怪物モノが好きなのか、他人種、階級、ジェンダー問題はどう解消されているのか、等々。

 

さてここから別の話です。私が属する研究会でのエピソードです。若い研究者が30分程度の口頭発表を終えたあと質疑が始まりました。その会のシニアの先生が、発表を終えた若手研究者に次のように告げました。

 

「今の発表はちらし寿司みたいで具がたんと並んでいたけど、結局、何が言いたかったの? どんな内容でも、短く要旨をスッとまとめられなければ、それは自分の内容を消化し切れていない証拠。ところで200字でまとめて言ってみて」

 

そばで聞いていたメンバーは自分のことを言われていると恐れおののきました。短くまとめるなどできない、わたしの論旨はもっと複雑だから、200字なんて無理ムリ。それに短くすると内容がスカンスカンに見えてしまう、言い訳をしている私がいました。

 

その老練な先生は、「200字でまとめられない発表はそもそも本人が理解できていないからダメなんだけど。そういう時は、とにかく先に結論を言ってみて。そうすれば聴いている人がその結論にたどり着くために、まとまりのない発表を補いながら聴いてくれるから」と。

 

こういう警告のような助言は痛く辛いのですが、嬉しいことも事実です。長い口頭発表には準備時間がさほどかからないが短い発表にはかなりの時間がかかると書いてあったテキストのことを思い出しました。短いというのは簡単ではないようです。

 

                    2023年(R5)6月

 

                         英語英文学会 会長 風間 末起子

 

 


 英語英文学会の会員の皆さまへ

 

             卒業生、ああ卒業生

 

毎年10月下旬にホームカミング・デイが京田辺と今出川キャンパスで、交互に開催されています。開会礼拝から始まって沢山のプログラムが用意されています。そのなかに「恩師訪問」というメニューがあって、一年おきに、卒業生が私たち教員の研究室を訪れてくれます。

 

久しぶりの出会いで目がウルウルという展開もありますが、今日はその感動秘話を書きたいのではなく、卒業生と会うことで私が再認識できたことを少し書いてみたいと思います。

 

卒業生の多くは同女を22歳あるいは20歳で卒業して、そのあと就職して、結婚して、子どもを育てて、その後はフルタイムで仕事を続けている人、パートタイムで仕事を続けている人、専業主婦の人、その他いろいろなパターンで人生を送っていますが、私が総じて感じるのは、蓄積の重さ、忍耐から生まれる寛容さ、教員が昔なにげなく言った言葉をもっと広げてくれる感受性と表現力、こんなことをお会いしたあとは実感しています。いいことだけを書いているように聞こえるかもしれませんが、本当のことです。

 

あの時、不安げなまなざしで、何かを見つけたいという表情で、教室のあのあたりの座席にすわっていたあの20歳だった卒業生が、今、大人になって目の前にいる。こんな幸せを感じることができるのは教員だけの特権だと思います。

 

昔、恩師がこう言っていました。「学生さんは旅人で通り過ぎて行く人。だからほんの一瞬だけど、旅人には親切にと聖書にもあるから、学生さんには親切にしなくては」と。親切という言葉は意味が広いし単純な言葉ですが、店主が顧客にサービスすることとは少し違うかなとその時理解できました。親切にするには忍耐も伴うだろうと想像できましたし、優しい言葉をかけるだけが親切ではないと感覚的に理解できました。辛い言葉を投げかけても、それでも学生には長い未来があるから大丈夫と楽観できるのが教員の幸運な立場です。この最後のことは若い頃の私にはわかっていませんでした。

 

中高年の卒業生にお会いする時、その方々の人生の4年間あるいは2年間に関われた幸せを実感します。若い学生さんに何かを伝えることは私にとって容易な仕事ではありませんでしたが、卒業生を見ると、気負って教室に行かなくても、人は自分で自分を育てていく、その証しを目の前で実感させてもらえる、そんなことを感じるのがホームカミング・デイです。

 

                                                                2023年(R5)4月

                               英語英文学会 会長 風間 末起子

 


英語英文学会の会員の皆さまへ

 

           接触、非接触、一周まわって人間関係とは

 

先日、あるイギリス文学関係の学会のシンポジウムにオンライン(ZOOM)で参加しました。そこでおもしろい話題に巡り会いました。パネリストの先生のご専門はフランス文学でしたが、私たちイギリス文学の研究者にもわかりやすい話題を提供してくださって、お話は実に明快で心に響くものがありました。

 

接触は、大げさに言えば、フランス文化の基盤を支えているものでしたが、コロナ禍のため、ビズという習慣(両頬にキスする挨拶)が消えてしまう事態になったということ。フランス文化の根本はどうなってしまうのか。しかし実際は、SNSに寄せられた、特に女性たちの意見には、「ビズがなくなってセイセイした。あの習慣はけっこうウットウしかったんだと実感」とあったそうです。コロナ禍の直前にも、フランスの現代小説では、接触を前提とする人間関係を問い直すために、欲望の欠乏や接触の不可能性、そしてそもそも「人間関係が大切」という観念自体が問い直されていたとのことです。「万歳!非接触」という21世紀の非アムール宣言です。

 

それが2020年2月から世界がコロナ禍に突入。ここに至って、フランスでは、接触、非接触、一周まわって接触の回復を予感させるロマンティスム回帰(カップルの再生)が小説で描かれるようになったという話です。

 

さて日本ですが、フランスのような、ビズやハグのような接触文化はありませんし、日本では軽い笑みと会釈、これで基本的な友好関係は築けますので、コロナ禍の状況はフランス人よりは容易なことだったかもしれません。

 

ただ、コロナ禍も2年を超えると、私たちは、職場やサークルや研究会など、関係性が薄くはないけれど濃密とまではいかない「普通の」人間関係を再考する機会を与えられました。同じ空間に座することの意味と疑義、時間・労力の無駄と無駄の意義深さ、オンラインで人が集う気楽さ(圧迫感の減)とそばに居なくても大丈夫という意外な器用さ、同時に高齢者にとっては(誰にとっても)人の体温を感じたいという素直な思いなど、私たちは、「オンライン」と「対面式」という用語を使うたびに、人間関係の意味について、試行錯誤している毎日です。コロナ禍以前が「常態」と考えることが、もはや、できなくなっているからでしょう。

 

                   2022年(R4)9月

 

                       英語英文学会 会長 風間 末起子


英語英文学会の会員の皆さまへ

 

              希望があるからこそ

 

 

 本日は7月の「夏期公開講座」(3つの講座)のご案内等をお届けしています。対面式とオンライン(ZOOM)両方での開催ですので、ご都合のよいほうで、ぜひご参加ください。

 

①7月23日(土)14:00-15:30. 﨑ミチ・アン先生のご専門は社会言語学。複雑な世界情勢のなかで私たちはどう向き合ったらよいのか。「異文化」、「多文化」、「共生社会」は20世紀後期からのキーワードです。では21世紀における向き合い方は?(英語講演)。

②7月24日(日)10:30-12:00. 鈴木里奈先生はイギリスの思想家・作家ウィリアム・ゴッドウィンおよびメアリ・シェリー(ゴッドウィンの娘)の研究者。メアリの『フランケンシュタイン』(1818)はゴシック小説の外見を装って哲学を語る小説、へえ~そうなんだと意外性が満載。

③7月24日(日)13:00-14:30. 國友万裕先生のご専門はアメリカの文学・文化です。第二波フェミニズムに影響されて1980年代から「男性学」という研究分野が盛んになりました。今回はアメリカ映画に見られる「男らしさ中毒」について。こういう話、聴きたかったです。

 

 さてここから話が変わります。上記の3つの夏期公開講座を思いながら、私の脳裏には「希望」という言葉が浮かんできました。学部と院生のころ、私は瀧山季乃先生からトマス・ハーディの作品の手ほどきを受けました。英語で初めて読んだハーディの小説はFar from the Madding Crowd(1874)でした。訳読でかなり苦労し、こんなに英語が読めなくては文学研究なんてできるわけがないと絶望的な気分に陥りました。

そんな記憶の小説ですが、特に印象が鮮明なのは40章で、身重のファニー・ロビンがヤルベリーの丘を越えてカスターブリッジの救貧院まで歩いて行く有名な場面です。犬が途中から登場しファニーの旅を支えます。こんな状況ですらファニーは希望のかけらを見つけています。

 

悲しく厳かで、それでいて情け深くもある夜の一面が、人目をはばかる残酷な夜の面から分離して、犬の姿に具現化されたのである。暗闇というものは、とるに足らない平凡な人々に、詩的才能を与えるものだが、この苦悩する女も自分の思いを、形あるものに創り上げたのである。

                      (『はるか群衆を離れて』 40章、拙訳)

 

ファニーは救貧院に着くとすぐに死産し命を落とします。人は死によって勝利するはずはないし、希望と呼ぶにはあまりに儚く微弱な光ですが、それでも希望を見つけようとする人間の想像力に圧倒される思いがしました。

希望がなければ生きていけない。この世への求愛はむなしいことだと知っていても、それでも希望が私たちを支えてくれます。卒業生の皆さんは、混迷する世の中にあっても、勇気の源泉を知っていらっしゃるのではと思っています。

 

                         2022年(R4)6月

 

                            英語英文学会 会長 風間 末起子

 


同志社女子大学 英語英文学科の会員の皆様へ

 

          ご挨拶― ようこそ英語英文学会へ ―

 

 まずはじめに、2年間、学会長をおつとめいただいた松村延昭先生に、この場をお借りして、深く感謝申し上げます。先生にはこの2年間(2020.4月~2022.3月)、コロナ渦の中、諸々の会や行事の実施に向けて、対面、オンライン、ハイブリッド式によるさまざまな方法でご苦慮いただき、ご尽力をたまわりました。本当に有難うございました。今後もどうか私たちをお支えください。

 次に皆様への私のご挨拶です。

 どんな職場でもどんな立場でもそうだと思いますが、私たちに必要なのは、人間的な結びつきと、ある程度の満足感(自信)、そしてちょっとした畏れ(敬意と不安)だと思います。

 そういうものを、大きな意味で培ってくれたのは、私の場合は同志社女子大学という職場でした。

同時に小さな研究会の場が心を鍛え、育んでくれました。会に出席することで、もっと研究をしたいという気持ちが増し、働くことの意味や、人間関係の基本も教えてもらったからです。

 これまで私が従事してきた文学研究は基本的には机上のものですし、自分だけの孤独な領域です。しかし人間的な繋がりがなければ(時に煩わしくても)、その研究は机上以下の空疎なシロモノになってしまうような気がします。

 創立(1967年、S42)から55年もの歴史を誇る、私たちの英語英文学会も、絆となる場所、そっと寄りかかることのできる場所となってほしいと願っています。本学会は約24,000名の卒業生と約600名の現役の学部生と院生を擁しています。この会員数を前にして、勇気と畏れが胸に迫ってきます。

 英語英文学会がたくさんの草木・草花を結べる糸や紐の役割を果たすことができれば、見える場を通して、見えないwebのような絆を広げていけたら、そう願っています。今出川キャンパスで、あるいはオンラインで、皆様にお目にかかれますことを心待ちにしております。

 

                             2022年(R4)4月

 

                          同志社女子大学 英語英文学会

                               会長 風間 末起子


同志社女子大学英語英文学会会員の皆様 

 

   初秋の候、皆様におかれましてはいかがお過ごしでいらっしゃいますか? 新型コロナウィルスの感染拡大が長く続いており、皆様にとっても日々大変な状況が続いていることと思います。

 

 英語英文学会第55回総会は昨年に続き書面で開催しましたが、すべての議案を承認していただいたことをご報告いたします。ご協力、ありがとうございました。

 

また第50回英語英文学夏期公開講座、アスフォデル贈呈式、DWCLA語学教師の会は、対面とオンラインを組み合わせた形で開催し、海外の卒業生にもご参加いただくことができました。オンライン開催のメリットも知ることができました。来年度はどうなるのかわかりませんが、皆様のお顔を拝見し、歓談しながらの総会・懇親会ができることを切に願っております。

 

 秋学期の行事については、状況を鑑みながら、学会ホームページによりご案内いたします。支部活動では、10月開催予定の愛媛支部が残念ながら2022年度に延期となりました。状況は日々変わっており、急な変更を余儀なくされることもあるでしょうが、どうかご理解のほどをお願いいたします。

 

『アスフォデル56号玉田佳子教授・北尾キャスリーン教授退職記念特別号』の郵送をご希望いただきました方には、今回、同封させていただきました。また、同志社女子大学図書館の学術リポジトリにても公開しております。

 

様々な学会活動も停滞しておりますが、コロナ禍終息の暁には、以前に増しての活発な活動をと考えております。その時がくるまで、皆様におかれましても、引き続きご自愛くださいますようお祈りいたしております。                              

 

                         2021年9月

                          英語英文学会長  松村 延昭 

 


◇卒業生の皆様へのお便りは、2021年度年会費を納入くださった方に郵送しています。
年会費の納入方法は、「卒業生の皆様へ」をご覧ください。(2021.9.09)


 

 

 同志社女子大学英語英文学会会員の皆様 

 

 

   今日の新聞は、テニスの大坂なおみ選手が全仏オープンを棄権したと報じていました。テニスファンとしては残念ですが、病気ということで仕方がありません。

 彼女で思い出すのは、BLM運動を支援していたことです。1968年のメキシコオリンピック男子200メートル競争では、優勝したトミー・スミスと3位のジョン・カーロス(ともにアフリカ系アメリカ人)が、表彰台で頭をたれ下げ黒い手袋をはめた手を突き上げ、アメリカでの人種差別に抗議しました。二人はスポーツに政治をもちこんだと非難され、アメリカの陸上界から追放となり、アスリートとしての人生を全うすることができませんでした。純粋なアマチュア選手で行われていた当時のオリンピックと現代のプロスポーツを単純に比べることはできませんが、大坂選手の言動に賛否両論が拮抗する現在では、社会は変わったのだなと実感します。

 BLM運動の大きな契機は、ミネアポリスの黒人ジョージ・フロイドが、警官の取り調べ中に死亡した事件です。銃器が身近にあるアメリカ社会で、張り詰めた状況におかれた警官は「一瞬の判断」を強いられます。そのため、警察官による実力行使は、裁判になっても資格による免責とされることがほとんどです。しかし、フロイドは9分29秒も膝で首を圧迫されて死にました。これを自らの身を守るための正当防衛とは言えないでしょう。激しい抗議運動がおこったのは当然のことです。

 しかし、その抗議運動に暴動と略奪行為が伴いました。暴行を受けたり、店を破壊された黒人の被害者も多く出ました。日本のテレビ報道は、人種差別の理不尽さは強く訴えるのですが、正当な抗議運動と暴動の区別を明確に指摘しません。キング牧師は「私には夢がある」のスピーチで、”We must not allow our creative protest to degenerate into physical violence.”と述べています。自分たちの抗議運動を暴力に堕落させてはいけない、とキング牧師は仲間たちを戒め、非暴力に徹底して活動しました。昨今の事情に目をやると、キング牧師の偉大さを再確認することができます。

 同時に、正当な抗議活動と暴動を混同してしまうメディアの切り取り報道にも問題があります。ほとんどの人が人種差別はなくすべきだと考えていますが、声高に訴えても容易に解決はしません。人種問題の多様性と奥深さを正しく理解し、各自が真摯に考えることが大切です。その意味でお勧めの映画が、スパイク・リー監督のDo the Right Thingです。メッセージをどう受け取ったらよいのか、観終わってスッキリしない映画ですが、これほど考えさせられる映画はありません。ぜひ観ての感想をお聞かせください。

 大坂選手の全仏棄権問題からだいぶ発展してしまいましたが、そのようなお話を会員の皆様とさせていただける日が早くくるように祈っております。どうぞこの大変な時期を健やかに過ごされ、英語英文学会のいずれかの活動でまたお会いしましょう。

 

2021年6月 

                   

                     同志社女子大学英語英文学会

                         会長  松村 延昭